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Sacred world,  Our great spirit from ancient time

Tohoku Hokkaido

日本の古代を解くための、鍵を握る地域。

 日本という国は、縄文文化の上に弥生文化が重なって育まれてきた。東北地方には、縄文遺跡が多く残されている。とくに環状列石は、日本には176ヵ所が確認されているが、秋田県には74ヵ所、北海道に29ヵ所と、半数以上が、ここに集中している。その理由は、未だわかっていない。

 また、約9000年前に作られた北海道函館の垣ノ島B遺跡の漆製品は、埋葬者の副葬品の衣服だが、頭から膝にかけておおわれた繊維が赤色に染められており、漆と、赤色を発色するベンガラを焼いて混ぜたものだ。

 そして、そこからわずか2kmほどの大船遺跡は、縄文中期(約5000年ほど前)の遺跡だが、膨大な数の石皿が発見されており、それらは、木の実やベンガラなど鉱物から色素を作り出すためのものでもあり、色素の大量生産が行われていたと考えられている。

 縄文土器も、世界最古の土器として知られるが、古代日本が、漆や土器だけに特殊化した文化を誇っていたわけではあるまい。

 漆や土器は、湿度に強く、そのため、湿潤な風土の日本で長く存続していただけであり、同じ時代に生み出されたものの多くが、湿潤な風土のなか、朽ち果ててしまった可能性がある。

 その真偽はともかく、漆製品だけを見ても、北海道は、世界的に明の先進国だったということになる。おそらく、当時と今では気候も異なっていただろう。しかし、それだけの知恵を持った人たちだから、北海道が寒冷化し、住むの適さなくなっても本州に南下することに苦労はなかっただろう。

 日本は、弥生時代が到来して大陸から新しい知識や技術が大量にもたらされるが、それ以前に蓄積された文化の厚みもあったはずで、その重なり合いがどうであったかを知ることが、日本を真に知るための鍵となるはずだ。

 

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