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蘇りの聖地、熊野
古来より日本において、山は、神や祖先の霊が宿る神聖な場所であるという考え方がある。熊野への信仰は、それが最も顕著に現れており、この地を訪れると、日本固有の宗教のあり方を、色濃く感じることができる。
熊野の豊かな自然は八百万の神々への信仰とつながり、厳しい自然は熊野修験に代表される山岳宗教を育んだ。そして、神と仏が1つになった熊野権現は、貴賎男女の隔てなく、浄不浄をとわず、なんびとも受け入れた。その救いを求め、皇族や貴族をはじめ、あらゆる階級の人々が、この山深いこの地を目指した。熊野への道は、浄土への道だった。
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![]() 玉置山 | ![]() 神倉神社 ゴトビキ岩熊野三山の一つ速玉大社の神様が降り立ったところ。この場所から銅鐸の破片など弥生時代の祭祀関係の物がたくさん出た。 | ![]() 玉置山熊野三山の奥宮、玉置神社が鎮座する霊峰玉置山の枕状溶岩。 | ![]() 花の窟神社。花の窟神社。日本書紀において、イザナミの御陵とされる。社殿はなく、熊野灘に面した高さ45mの磐座が神体である。この巨岩は「陰石」で、神倉神社のゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなし、熊野における自然信仰の姿を今日に伝えている。 | ![]() 丹倉神社古代から続く自然信仰の祭祀場、丹倉。 | ![]() 潮岬 |
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![]() 花の窟神社の前の七里御浜(日本の渚百選) 熊野市から紀宝町に至る日本で一番長い砂礫海岸、七里御浜。その距離は、約22kmにも及ぶ。平安の頃、熊野詣でをする人々にとっては「浜街道」と呼ばれ、信仰の道としての役割を果たしていた。 海岸には、熊野川を経てたどり着いた様々な巨岩や、古代の地球のダイナミズムを感じさせる奇岩がある。春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地としても知られている。 | ![]() 那智の滝落ち口の幅13メートル、滝壺までの落差は133メートルに達し、その姿は熊野灘からも望見することができる。総合落差では日本12位だが、一段の滝としては落差日本1位。華厳滝と共に日本三名瀑に数えられている。 | ![]() 本州最南端 潮岬潮岬は、もともとは島であったが、河口から流出する砂礫が沿岸流によって運搬・堆積して砂州が形成され、陸繋島となっている 複雑なマグマの動きによって形成され た火成岩体である。 潮岬は、世界最大級の海流「黒潮」が直接当たる場所であり、近海には、驚くほど豊かなサンゴ群落が広がり、多様な生物を見ることができる。 インドネシア方面から風と潮の力だけで、ここまで到達でき、遠方からやってきた海人と呼ばれる人たちが、ここに上陸したと想像することもできる。 周辺には太陽信仰とかかわっていると思われる遺跡がある。また、西部にある潮岬集落は、明治期に合併するまでは、出雲浦と呼ばれていた。 | ![]() 瀞峡和歌山、三重、奈良を流れる熊野川水系の北山川上流で、巨岩、奇岩、断崖が続く。節理(マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じる岩体の規則性のある割れ目)の綺麗な両岸は、岩質が硬いため浸食に強く、古代から変わらぬ姿を示している。崖の高さは約50m、水深も16〜20mに及び、川幅も60〜80mにもなる。 | ![]() 荒滝楊枝川沿いを上流へと進んだところの荒滝、周辺には布引の滝、大滝、松山滝、 楊 枝川上流の荒滝。周辺には布引の滝、大滝、松山滝、隠れ滝などがある。このあたりは、巨岩が数多く存在している。 | ![]() 大斎原(おおゆのはら)明治22年の水害まで熊野本宮大社があった。熊野川・音無川・岩田川の合流点にあるこの中洲は、360度山に囲まれ、世界の中心であると実感できる。 不思議なことに、この中洲の真南が本州最南端の潮岬であり、真北にあたるのが若狭の神宮寺、奈良の東大寺の二月堂のお水取りの儀式のための「お香水」が汲まれ送り出されるところである。 さらに、潮岬、熊野の大斎原、若狭神宮寺の南北の垂直のラインにそって、飛鳥、巨大古墳が集中する佐紀古墳群や平城京、京都の平安京が位置している。 |
![]() 橋杭岩。本州最南端、潮岬の近くの橋杭岩は、1500万年前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入したものである。貫入後に差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残された。 | ![]() 北山川 七色貯水池 |
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