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Sacred world,  Our great spirit from ancient time

Kawachi.Settsu

茨木 海北
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茨木 竜王山
近江-4
茨木 大将軍塚
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比沼真名井神社-14
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Nishihonganji
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大陸文化の畿内への玄関口

 摂津から河内にかけての地域は、古代から極めて重要な場所であった。瀬戸内海を通って畿内に入るためには、まず、この地に上陸し、淀川、大和川などを通って、ヤマトや京都の地に向かうことになる。さらに、兵庫県の加古川や武庫川は、日本海から瀬戸内海を結ぶルートであり、摂津と河内は、そのルートとも直接つながっていた。

 大陸から九州に伝わった稲作などの弥生文化は、畿内ではまず現在の高槻の安満遺跡に定着されたとされる。そして、この遺跡の背後にある安満宮山古墳からは、魏の年号「青龍三年(235年)が刻まれた青銅鏡が出ている。

​ また、摂津と河内は、渡来人が多く定着した地でもあり、彼らがもたらした技術が、日本国内の状況を大きく変化させていく力となる。

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茨木 海北塚古墳

茨木 海北塚古墳

茨木には、4世紀前半に作られた大きな前方後円墳(縦穴式石室)があり、6世紀、その古墳のまわりに横穴式の石室を持つ古墳群ができる。これは、柴金山古墳の近くの海北塚古墳。

茨木 竜王山

茨木 竜王山

茨城童子が妖術の修行をしたとされる茨城市の竜王山の穴仏。

野間の大けやき。

野間の大けやき。

妙見山の北に位置する野間の大けやき。高さ27.37メートル、幹まわり13.01メートル、最大枝張は幅39.3メートル、高さ36.2メートルの巨樹。樹齢1000年。西日本のけやきでは最大。全国では4番目。

天照大神高座神社(大阪府八尾市)。

天照大神高座神社(大阪府八尾市)。

式内社で唯一「天照大神」と名がつく神社。5世紀の下旬、ここで日神を奉斎していたのが、春日戸村主(かすかべのすぐり)という渡来系の人々だった。生駒山地の高安山の中腹、岩盤の上に本殿が鎮座している。また蘇我と物部の戦いの時、聖徳太子は秦河勝に命じて、この場所に教興寺を建立させた。

岩戸神社(大阪府八尾市)。

岩戸神社(大阪府八尾市)。

天照大神高座神社と隣接し、かつては一つだった。岩の中に組み込まれるように建造されているが、おそらく、古代は、岩そのものが聖域だっただろう。

聖徳太子の御陵(大阪府太子町)。

聖徳太子の御陵(大阪府太子町)。

叡福寺にある聖徳太子御陵には、太子の母の穴穂部間人と、妃の膳部菩岐々美郎女(かしわで の ほききみのいらつめ)が合葬されている。

美具久留御魂神社(大阪府富田林市)。

美具久留御魂神社(大阪府富田林市)。

鳥居の向こうに二上山が見える。この二つの場所のちょうど中間(3.5km)に、太子町の聖徳太子の御陵があり、この東西のラインをさらに東に行ったところに、三輪山の大神神社、宇陀の室生龍穴神社がある。

太子西山古墳(大阪府太子町)。

太子西山古墳(大阪府太子町)。

第29代欽明天皇の皇后の石姫皇后と、第30代敏達天皇の合葬墳。全長約93メートル。磯長谷古墳群には天皇陵4基(敏達天皇陵・用明天皇陵・推古天皇陵・孝徳天皇陵)と、聖徳太子墓など約30基が存在するが、その中で唯一の前方後円墳であり、前方後円墳の造営が終了する直前の古墳である。

科長神社(大阪府太子町)の境内にある小野妹子の墓。

科長神社(大阪府太子町)の境内にある小野妹子の墓。

石神社(大阪府柏原市)。

石神社(大阪府柏原市)。