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神を畏れ、敬い、感謝する心をつなぐ聖地
伊勢神宮は、20年に1度の遷宮を繰り返しながら、天皇制と同じくらいの長い歳月の間、日本人に大切にされてきた。
そして、伊勢神宮は、個人的なお願いごとをする場所ではなく、神様に日頃の感謝を伝えるところである。一神教の人々にとって神は、救いと裁きの存在だが、日本人にとって神は、敬意と畏怖の対象である。神に感謝しながら、その存在を身近に感じることで自省して生きることが、日本人本来の生き方であった。近代合理主義の価値観の中で生きていると、そうした原点を忘れがちになるが、伊勢神宮には、古の信仰が脈々と受け継がれて残されていることが実感できる。
また、神を畏れ、敬い、感謝することは、過去から連綿と流れてきているものを畏れ、敬う、感謝することと同一である。
古代から日本人は、そのことを強く意識し、過去からその時代までのつながりを、改めて意識して生きることができるように、様々な秘術を尽くしている。
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![]() 御杖神社(奈良県宇陀郡御杖村) | ![]() 粥見井尻遺跡(三重県松阪市飯南町)日本最古の土偶が出土した。背後に見えるのは烏山。ここは、中央構造線上にある。 | ![]() 伊勢神宮 正宮 | ![]() 伊勢神宮 宇治橋 | ![]() 丹生大師(三重県多気郡多気町丹生) | ![]() 丹生神社(三重県多気郡多気町丹生) |
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![]() 龍王の滝(奈良県月ヶ瀬) | ![]() 巫女形埴輪(寺谷古墳群出土)。三重県鈴鹿市考古博物館蔵)。この埴輪は、全国的にも珍しく衣服に鹿の絵が描かれている。鹿は、群れを成して海を渡ることから海人の信仰の対象だった。海人の安曇氏の拠点、北九州の志賀海神社の鹿角堂(ろっかどう)には、1万本以上の鹿の角が奉納されている。三重県の鈴鹿は、古代、伊勢大鹿氏が拠点とし、娘の菟名子を采女として敏達天皇に嫁がせ、舒明天皇の母、糠手姫皇女が産まれた。さらに、壬申の乱において、伊勢大鹿氏は、大海人皇子を支え、勝利に貢献した。 | ![]() 椿大神社鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社。猿田彦大神」を主神とするが、この神社の境内に、御船磐座(みふねいわくら)がある。第11代垂仁天皇20年に、入道ヶ嶽(高山)より猿田彦大神の御神霊を奉祭したと伝えられている。 また、 謡曲「鈿女」(うずめ)にうたい込まれている神代の神跡で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、御船でここに降臨したという。 | ![]() 豊受大神宮別宮 月夜見宮 | ![]() 月讀荒御魂宮伊勢神宮内宮の別宮、月讀宮境内の月讀荒御魂宮。 | ![]() 忍山神社 (三重県亀山市)。ヤマトタケルの妃となった弟橘姫は、この神社の神主、忍山宿禰の娘だった。弟橘姫はヤマトタケルの東征に随伴し、相模の海で海神の怒りを鎮めるために入水した。忍山宿禰は、崇神天皇の時代の大物主の祟りの時、その祟りを鎮めるため、大田根根子を祭祀者とするように夢の中で大物主に告げられた大水口宿禰の息子である。 |
![]() 伊賀、陽夫多神社の御旅所古墳。陽夫多神社は裏山にも古墳群があるが、この古墳は、 境内の前にある。飛鳥の石舞台古墳のように盛土が失われているが、玄室内部の幅、長さとも伊賀屈指の大きさを誇る。 | ![]() 赤岩尾神社。赤岩尾神社 祭神は、愛宕神社と同じカグツチ。抜け穴を通じて、藤原千方窟とつながっているとされる。柱状節理で知られる。平安中期、金鬼、風鬼、水鬼、隠形鬼の4人の鬼ともに朝廷と戦った藤原千方は、 ここで必勝祈願をした。 | ![]() 伊賀の鍛冶屋にある山神遺跡の磐座。巨石の前面から古墳時代の土師器片と推定される遺物が見つかっている。この遺跡の東3kmのところに木津川が流れており、すぐ近くに元伊勢とされる猪田神社が鎮座する。このあたり、伊賀の鍛治拠点の一つと考えられる。 | ![]() 尼が岳の麓、藤原千方窟平安中期、藤原千方は、苦労して開墾した土地に重い課税をして利益を貪る国司と朝廷の政道を批判したため、朝敵の汚名を着せられ、朝廷軍と戦うことになった。その時、藤原千方が4人の鬼とともに籠城したとされるのが、この岩の城だ。 | ![]() 赤岩尾神社。 | ![]() 多度大社多度大社には、天津彦根命の御子神である「天目一箇神」(あめのまひとつのかみ)も祀られている。 天目一箇神は、製鉄・鍛冶だけでなく天候も司り、雨乞いの神様としても信仰がある。 |
![]() 三重県津市の石山観音。山そのものが巨岩の石山の面に、40体余の磨崖石仏が点在。その由緒は謎。現在は、人里離れた場所だが、かつては、京や近江と伊勢を結んだ旧伊勢別街道に近い。 | ![]() 多度大社多度大社が祀る鍛治の神、天目一神は、兵庫県の西脇から生野銀山のすぐそばの多可郡の千ケ峰の方面に流れる杉原川ぞいに多く鎮座している。また天目一神は天御影神が別名で、天御影神は、近江の三上山に降臨したとされ、その麓にも、製鉄の氏族、菅田氏が祀る神社がある。亀岡の出雲大神宮の神体山は御影山であり、多田神社を含めて、これらの天目一神関係の地は全て、ほぼ同一の緯度上にある。 |
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