Sacred world,  Our great spirit from ancient time

Nara Area

ほづかわ-94
ほづかわ-76
Amano ishidate
ほづかわ-32
ほづかわ-26
Amano ishidate-4
Amano ishidate-2
石上神宮-2
石上神宮
笠山荒神-2
Hashihaka tomb
Hibasuhime tomb
Nishihonganji-93
Takakamo jinjya
ほづかわ-28

日本人の心のふるさと

 万世一系が真実かどうかはともかく、日本の天皇制は1400年以上もの歴史があり、これだけ長きにわたって、一国の権威的な存在であり続ける皇室は他にない。その天皇制のルーツは大和にある。

 天皇制は、日本人の心の深いところに根ざしている崇敬の対象ゆえに、国家神道の暴力に利用された苦い歴史もあり、今後もその可能性に注意を払わねばならないが、どれだけ近代合理主義が進もうとも、天皇制は、多くの人々に支持され続けている。その理由は、明確にはわからないが、無宗教と言われ精神的拠り所を喪失した現代日本人にとって、心のふるさというべきものを、そこに感じるからだろう。

 絶対的に正しいと言えるものは何1つないが、長く続いてきているものには何かしらの真実がある。

 天皇は、国民の平和と安寧のために、日々、心をこめて宮中祭祀を行っている。

 日本人が、心のふるさとを感じるものは、目には見えないけれど、何かがいつもそばで見守ってくれている。そう感じさせてくれる有難い存在なのだろう。

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益田岩船(奈良県橿原市)。

益田岩船(奈良県橿原市)。

古くから謎とされていた巨大な岩の建造物で、上部に方形の二つの穴が開けられている。近年、ここから南東500mのところにある牽牛子塚古墳の発掘調査で、これと同じ構造を持つ石棺式石室が発見されたため、この建造物は、牽牛子塚古墳用の石棺を作ろうとして作業が放棄されたものではないかと推測されている。

牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)。

牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)。

考古学的調査では、第37代斉明天皇と、彼女の娘の間人皇女(第36代孝徳天皇の皇后)の合葬陵とされる。かつての姿を蘇らせるために、2018年1月から工事が行われていたが、2022年3月6日から一般公開された。この古墳は全国に14基ほどしか発見されていない八角形の古墳である。

岩屋山古墳(奈良県明日香村)。

岩屋山古墳(奈良県明日香村)。

被葬者は不明。下段部は方形であるが、上段部を八角形に築いた八角墳ではないかとされている。石室は、巨大で硬い花崗岩を用いており、精巧な切石加工がほどこされている。奈良にある6基の八角墳のうち5基は、天武天皇と、その血縁者のものであり、この岩屋山古墳も、その可能性が高い。

宝山寺(奈良県生駒市)。

宝山寺(奈良県生駒市)。

伝承によれば、斉明天皇の655年、役行者が開いたとされる修験道場で、空海も修行したと伝わる。背後に聳える火成岩の岩壁にある般若窟は、生駒山地周辺の住民を困らせていた前鬼・後鬼を役小角が捕らえて、閉じ込めて改心させた場所だという。

船山神社(奈良県平群町)。

船山神社(奈良県平群町)。

式内社。本殿背後の山の中には丸木舟状の巨岩があり、神が乗ってきた船だと信仰された。その磐座を祭祀したのが起源で、「船山」の社名も、そこからきていると考えられる。生駒山地の東麓の平群町は、行基ゆかりの聖域が多いが、海人の紀氏の痕跡も多く残る。

三里古墳(奈良県平群町)。

三里古墳(奈良県平群町)。

石棚付き石室を持つ古墳で、瀬戸内海周辺など海人の活動地域に集中的に見られる。この近くに、紀氏の祖神を祀る平群坐紀氏神社が鎮座する。

金勝寺(奈良県平群町)。

金勝寺(奈良県平群町)。

行基が夢のお告げによって創建した。すぐ前を流れる竜田川の淵に棲む竜神を祀る信仰があったようで、竜神が開祖の行基を迎えたという伝承がある。

千光寺(奈良県平群町)。

千光寺(奈良県平群町)。

生駒山地の中腹にあるこの寺は、660年、役小角が草堂を築いたことに始まる。役小角が、ここでの修行の後、吉野の大嶺山に入ったことから、千光寺を元山上と呼ぶようになったと言われている。役小角の母親も入山修業したとされる。

竹林寺(奈良県生駒市)の行基の墓。

竹林寺(奈良県生駒市)の行基の墓。

行基が壮年期に営んだ小庵が後に寺院となった。民衆の仏教活動が禁じられた奈良時代前半、行基は、階層を問わず広く人々に仏教を説き、困窮者の救済や社会事業を指導した。聖武天皇は、天然痘の流行で疲弊した社会の再興のため、行基の指導力と影響力の大きさを頼り、彼を、僧侶の最高位の大僧正に任命した。

吉野川の支流、丹生川沿いの賀名生(あのう)の地(奈良県五條市)。

吉野川の支流、丹生川沿いの賀名生(あのう)の地(奈良県五條市)。

南北朝時代、南朝(吉野朝廷)の首都となった場所。かつては穴生と表記した。

芝崎の奇岩(奈良県五條市)。

芝崎の奇岩(奈良県五條市)。

ここは、日本列島を南北に分断する巨大断層、中央構造線の上であり緑色片岩が露出している。硬い岩盤のために侵食されず、吉野川が大きく蛇行している。この真北1.5kmにコノハナサクヤヒメを祭神とする阿陀比売神社が鎮座する。あたり一帯は、南九州出身の海人、隼人の居住地だった。

藤ノ木古墳(奈良県生駒郡斑鳩町)。

藤ノ木古墳(奈良県生駒郡斑鳩町)。

6世紀後半に作られた古墳。金銅製の馬具、装身具類、刀剣類など豪華な副葬品が未盗掘で出土した。被葬者は、蘇我氏と物部氏の戦いで、 物部守屋とともに敗れた穴穂部皇子が有力視されている。

石上神宮

石上神宮

石上神宮の東は禁足地になっており、この先に、祓戸神社が鎮座する。さらにその先に、石上神社が鎮座するが、もともとの石上神宮の場所は、そのあたりだと考えられている。そして、本来の場所は、三輪山の真北にあたる。中世の頃、その地は、真言宗の寺が築かれていた。

石上神宮

石上神宮

物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。御神体は、布都御魂剣で、武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣。

笠置寺

笠置寺

奈良豆比古神社

奈良豆比古神社

奈良市の元明天皇、元正天皇綾の傍にある奈良豆比古神社の樹齢1000年余といわれる楠木。

柳生の里、天石立神社。

柳生の里、天石立神社。

柳生の里、標高330メートルの山中にある天石立神社。柳生宗厳(柳生石舟斎)が、この地で剣術の修行をしたと伝え、江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬された。本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとるこの神社は、『延喜式神名帳』に「天乃石立神社」と記載されているので、その信仰の歴史は、柳生よりもはるかに古い。

宇治田原町 猿丸神社

宇治田原町 猿丸神社

京田辺 月読神社

京田辺 月読神社

隼人舞発祥の地。この神社の真南に甘南備山があり、その頂上に、月読神が降臨したとされる。甘南備山、月読神社の真北が、平安京の朱雀通り(平安京の真ん中)である。平安京に遷都する時、甘南備山の頂上から位置決めが行われた。

木津川 岩船寺

木津川 岩船寺

笑い仏(阿弥陀三尊磨崖仏)

広瀬大社

広瀬大社

奈良盆地の全ての川が大和川に合流するポイントに鎮座している。

​第11代垂仁天皇綾。

​第11代垂仁天皇綾。

若狭の小浜と本州最南端の潮岬を南北に垂直に結ぶラインにそって、平城京のすぐ傍に、第11代垂仁天皇綾や佐紀古墳群など、巨大な前方後円墳が多く存在する。奈良の南東部、三輪山の近くの纒向(まきむく)に、3世紀中頃、箸墓古墳が作られた。このあたりの古墳づくりが衰退する4世紀後半頃から5世紀後半にかけて、佐紀古墳群と、仁徳天皇綾などがある大阪府堺市の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)で、古墳作りが行われた。なぜ、同じ時代、異なる場所に大古墳が作られたかは謎である。

朱智神社

朱智神社

京田辺市にある朱智神社。祭神は、迦爾米雷王(かにめいかずちおう)。神功皇后の祖父であり日子座王の孫。朱智神社は、木津川のほとりの椿井大塚山古墳の近くの山上に位置している。椿井大塚山古墳は、卑弥呼の鏡とも言われる三角縁神獣鏡が32面(日本全体で540面)も発見された。鏡以外に、鉄製の武具、農具、漁具が数多く発掘されている。朱智神社と椿井大塚山のあいだには、多々羅という製鉄に関する地名があり、そこが、継体天皇が宮を置いた筒城宮の伝承地である。ヤマトの北部から北上し、現在の石清水八幡、かつて巨椋池のあったところで桂川と宇治川と合流し淀川となる木津川流域。このあたりに勢力を誇っていたのは、古事記にもっても多く登場する氏族、和邇氏である。

西大寺

西大寺

三輪山の傍にある箸墓古墳。

三輪山の傍にある箸墓古墳。

三輪山の傍にある箸墓古墳。 古代からの聖地、ヤマトの三輪山の麓にある巨大な前方後円墳、箸墓古墳。一部には卑弥呼の墓を考える人もいる。(古墳時代初期、3世紀末から4世紀初頭)

日葉酢姫陵

日葉酢姫陵

日葉酢姫は、垂仁天皇の2番目の皇后。父は、和邇氏の流れをくむ彦座生の子、丹波道主王。垂仁天皇との間に景行天皇、元伊勢行幸のヤマトヒメを産む。日葉酢姫綾のある佐紀陵山古墳群は、有数の大規模古墳群で、この地から、河内の応神天皇陵など古市古墳群へと大規模古墳群が移った。この古墳の墳丘長は、207メートル。兵庫県では最大級の明石の五色塚古墳と相似形で、大きさなどもほぼ同じである。

高天彦神社

高天彦神社

奈良の金剛山東麓に鎮座する高天彦神社。高天原の伝承地とする説が古くからあり、仁徳天皇から雄略天皇の頃まで大和朝廷を支えた葛城氏の祖神で、天地開闢の時に出現した3神の1神「高皇産霊尊」を祀っている。

柳生の里、天石立神社。

柳生の里、天石立神社。

天石立神社。右側/前立磐:豊磐牖命(とよいわまどのみこと)の神体岩。左側/後立磐:櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)の神体岩。柳生宗厳(柳生石舟斎)が、この地で剣術の修行をしたと伝え、江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬された。本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとるこの神社は、『延喜式神名帳』に「天乃石立神社」と記載されているので、その信仰の歴史は、柳生よりもはるかに古い。

石舞台古墳 ​

石舞台古墳 ​

奈良県明日香村の石舞台古墳。被葬者は蘇我馬子という説が有力。

西山古墳

西山古墳

奈良県の天理と三輪山のあいだにある日本最大の前方後方墳。築造は古墳時代前期(4世紀)。全長183メートル。下段が前方後方形で中段から上は前方後円形となる特殊な墳形をもつ。

金剛山東山麓の高鴨神社。

金剛山東山麓の高鴨神社。

京都の上賀茂、下鴨の両神社を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社。全国にその名が見られる鴨氏 一族の発祥の地である。

柳生の里、天石立神社。

柳生の里、天石立神社。

鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、全て3,123柱の神々が宿るとしている。