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Sacred world,  Our great spirit from ancient time

Yamanashi,Shinano

縄文時代に遡る先進地域、山梨と信濃

富士山と八ヶ岳の一番南の権現岳を結ぶライン上に、重要な聖域が並んでいる。権現岳から18kmほどのところに梅之木遺跡という約5000年前の縄文遺跡がある。梅之木遺跡から12kmほど南に行ったところに大塚古墳があり、この場所は、甲府盆地の北の縁にあたるが、その周辺にも加牟那塚古墳など立派な横穴式石室を備えた古墳時代後期の古墳がたくさん築かれている。そして、甲府盆地は、古代、水が湛えられていたようだが、この盆地の南の縁、八ヶ岳と富士山を結ぶライン上に、東日本最大の前方後円墳である銚子塚古墳があり、その周辺には、かなり古い時代の前方後方墳や円墳が無数に築かれている。しかも、この場所は、弥生時代、縄文時代、石器時代まで遡る遺跡の宝庫だ。  

 また、八ヶ岳と富士山を結ぶラインと直角に交わるラインが、夏至の日の日の出ラインで、このラインにそって銚子塚古墳から14kmほど行くと、1116点もの土偶が発見された縄文時代の釈迦堂遺跡がある。この土偶の出土数は、青森の三内丸山遺跡の次に多い。数が多いだけでなく、土偶の一部に意図的な破壊が認められるなど、謎も多い。そして、銚子塚古墳と釈迦堂遺跡を結ぶ夏至の日の出のライン上で、銚子塚古墳から西に3kmほど行くと、鳥井原狐塚古墳がある。この古墳は、甲府盆地を見下ろす標高320メートルの曽根丘陵上に気づかれているが、曽根丘陵上は東海地方の弥生文化や畿内の古墳文化が流入した地域で、大塚古墳や伊勢塚古墳など数多くの古墳が分布する。鳥井原狐塚古墳が注目に値するのは、赤烏元年(238年)の年号が刻まれている鏡が出土したことで、卑弥呼が魏から鏡を授かったとされる239年よりも古い鏡は、日本国内で数点しか発見されておらず、これはその一つである。また、この釈迦堂遺跡と銚子塚古墳を結ぶ夏至の日の出ラインと平行するように、富士山頂と、富士の西麓の千居遺跡のあいだにラインを引くことができる。白糸の滝のそばの千居遺跡は、集落遺跡と祭祀遺跡が一緒に残されている縄文遺跡で、ここには、ストーンサークルがあった。この場所に立てば、夏至の日、富士山の山頂から太陽が昇ることが観測されたのだ。縄文人は、そのことを踏まえて、ここを祭祀場にした。 

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