古代における東国の先進地域
群馬( 上野国)は、東日本最大を誇る太田天神山古墳をはじめ12,000基を超える古墳があり、100m以上の巨大古墳も多く、全国屈指の古墳大国である。また、埴輪も全国一の質と量を誇り、大陸からもたらされた金銅製品、馬や鉄関連のものなど、当時の経済的な豊かさを示すものがたくさん出土している。また栃木(下野国)も、足利市だけで古墳が1600基もあり、古代の重要地域だった。足利市は渡良瀬川が流れ、その上流には足尾銅山がある。渡良瀬川は、利根川と合流し、太平洋までの水上の道となる。群馬の太田天神山古墳は、古墳最盛期の5世紀中旬の造営で、その東に3kmのところにある藤本観音山古墳は、4世紀末に造営された前方後方墳で、全長117mを誇り、東日本で2番目、全国で5番目の前方後方墳である。この古墳の造営された場所は、渡良瀬川に伴う幾つもの小河川の間の平坦な地形であるが、南側に初期の水田開発には重要な機能を発揮したであろう水路遺構が存在している。
また、埼玉は、都市化が著しいが、それでも、川越の氷川神社、そして、今はさいたま市になっているが、大宮の氷川神社、中山神社、氷川女體神社 の4つの聖域には、原初に通じる不可思議な暗号が、ちりばめられていた。
氷川神社、中山神社、氷川女體神社の三つの神社は、一直線上に並んでおり、このラインは、冬至の日の日の出、夏至の日の日没の方向となっている。そして、この三つの神社は、古代に存在した見沼という巨大な沼の縁に鎮座しており、見沼は干拓などによって水は失われているが、現在も広い緑地空間があり、「見沼田んぼ」と呼ばれている。そして、この見沼は、6000年前の縄文時代は、東京湾の奥地であり、海への出口だった。そのため、周辺では貝塚が点在している。
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魚止めの滝(群馬県吾妻郡長野原町) | 浅間山の「鬼押出し」 。1783(天明3)年の噴火の際に、浅間山の山頂から流れ出た溶岩流。 | 浅間大滝(群馬県吾妻郡長野原町) | 浅間山の「鬼押出し」 。1783(天明3)年の噴火の際に、浅間山の山頂から流れ出た溶岩流。 | 赤城神社 | 保渡田古墳群(群馬県高崎市)の八幡塚古墳。前方部前面部分から数多くの埴輪が出土している。 |
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保渡田古墳群(群馬県高崎市)最大の二子山古墳。後円部頂部のほぼ中央に竪穴式石室があり、舟形石棺が置かれている。 | 保渡田古墳群(群馬県高崎市)の八幡塚古墳。墳丘には葺き石が葺かれ、円筒列が墳丘裾部、中島裾部、中堤縁に見られる。 | 観音山古墳(群馬県高崎市)。横穴式石室の玄室は日本でも有数の大きさを誇り、欽明天皇陵とされる丸山古墳(奈良県橿原市)の玄室と同じ平面規模がある(高さは1/2)。また、豪華な副葬品は中国や朝鮮半島とのかかわりがあるものが多い。埴輪は円筒埴輪をはじめ、人物・馬・家・盾など多くの形象埴輪が確認された。横穴式石室の入口近くからみつかった、三人の巫女が並んで座っているものは、非常に珍しい。 | 観音山古墳(群馬県高崎市)。6世紀後半の前方後円墳。 | 妙義山 石門群馬の妙義山の近く、下仁田の山岳地は、日本列島ができた1500万年前より古く、白亜紀(約8000万年前)の海の地層や、ペルム紀(約2億7千万年前)のマグマが地下で冷え固まった石英閃緑岩という岩石で構成されているところがある。 | 名草厳島神社高さ11メートル、周囲30メートルある御供石。この岩の下は、『胎内くぐり』で知られ、安産を祈願する人が訪れる。 |
妙義山妙義山の岩場は、山岳宗教の中心だった。群馬、上野国の一宮である貫前神社は、本殿の背後に妙義山の奇怪な山々を遠望できるが、物部氏の祖神を祀っている。 | DSCF0316-2 | 名草厳島神社 奥の院名草厳島神社の奥の院には、石割楓・御船石・葛籠石つづらいし・鼓石といった巨岩、奇石が重なりあい、これらの下を岩清水が流れている。 この辺は大昔、水成岩の地層ができていたところへ地下からマグマが盛上がり、推定10万年以上の年月がかかって次第に固まり、現在のような花崗岩地帯になったといわれている。花崗岩特有の風化現象を示すものとして、昭和14年、国の天然記念物に指定された。 | 名草厳島神社弁慶の手割石 | 名草厳島神社伝承によると、弘仁年間(810~824)に弘法大師が、弁財天を祀ったのが始まりとされる。 足利には1600もの古墳がある。町の中心、織姫神社の背後、機神山の山頂付近には、5世紀~6世紀にかけて築造された26基の古墳群がある(2基の前方後円墳、そ24基の円墳)。名草厳島神社は、その真北に位置している。 | 榛名神社 |
名草厳島神社高さ11メートル、周囲30メートルある御供石。 | 埼玉古墳群の稲荷山古墳 | 長瀞渓谷。埼玉県秩父地方、荒川上流部の全長約6kmに及ぶ長瀞渓谷。中央構造線上にある長瀞一帯は「日本地質学発祥の地」とされる。また、日本で最初の流通貨幣である和同開珎は秩父で銅が発見されたことを記念として708年に作られたが、長瀞にある西浦採銅坑跡は、秩父地方の数か所の採銅坑のうちの一つである。 | 埼玉古墳群の近くの八幡山古墳の石室 | 野毛大塚古墳(東京都世田谷区)。多摩川のそば、豊かな湧き水の出る等々力渓谷の隣に築かれている。全長82メートル、帆立貝式古墳としては日本国内でも有数の規模を誇る。 短甲、冑、鉄剣ほか、数多くの武器類や武具類が副葬品として見つかっている。等々力渓谷の側には、この古墳を含み、300m間隔で4つの古墳が冬至のライン沿いに並んでいる。 | 高幡不動尊金剛寺古文書によれば701以前の草創で、行基の開基とも伝えられるが、寺伝によれば平安時代初期に円仁が清和天皇の勅願により霊場を高幡山山上に開いたのが始まりとされる。新選組副長として活躍した土方歳三の菩提寺。 |
三之宮三号墳(伊勢原市)高速道路建設で発掘され、比々多神社境内に移されている。比比多神社から三之宮遺跡周辺全体が、縄文時代からの祭祀空間のようで、環状列石など祭祀遺跡や、無数の古墳がある。 | 三ノ宮・下谷戸遺跡(伊勢原市)高速道路の建設途中、大山を望む地に、大規模な配石遺構群が発掘された。時期は、縄文中期から後期。主な遺構としては、柄鏡(えかがみ)形の敷石住居址、環状配石、環礫方形配石遺構、墓壙群(ぼこうぐん)。また、環状配石の下からは、楕円形の土壙群が発見され、墓壙と考えられています。環礫方形配石遺構の下からも人骨が出土した。現在、比比多神社境内に復元されている。 | 比々多神社(伊勢原市)大山を神体山とし、縄文時代からの祭祀遺跡の上に築かれている。相模国でも最古級の神社。 | 狭山湖(埼玉県所沢市)埼玉の狭山湖。となりのトトロの舞台、トトロの森のあるところ。周辺には、石器時代、縄文時代の遺跡がかなり多い。この狭山湖人造湖で、湖の底にも、古代の聖域が眠っている。ただ、この水は、武蔵野台地の天然の湧き水が流れ込んでいる。武蔵国における石器時代、縄文時代からの鍵を握っているのは、この湧水だ。 | 谷保天満宮903年、菅原道眞が死んだ後に作られた最古の天満宮であり、北野天満宮や太宰府よりも古い菅原道眞の聖域である。ここは、菅原道真の三男の道武が父を祀るために廟を建てたことに始まる。 祭神として菅原道眞が祀られているのは当然だが、配祀神として、石土毘古神(いわつちびこ)と天之日鷲命が祀られている。天之日鷲命は、阿波の国の忌部氏の祖神で、石土毘古神は、西日本最高峰の愛媛の石鎚山の神様である。ともに、四国にルーツを持つ神様だ。 | 熊野神社古墳(府中市)上円下方墳は、現在のところ全国で5例しかないが、この熊野神社古墳は、その中では最大である。 |
奥多摩 愛宕山山頂の磐座山頂には愛宕神社が設置され、麓の集落の氏神であるアラハバキ神と白髭神も合祀されているが、この磐座が、古くからの聖域だろう。 | 多賀神社(八王子市)938年、清和源氏の孫で臣籍降下した源経基の創建。源経基は、朝廷からの監督者として武蔵国に赴任した。地方豪族を牽制し、監視するため。彼が、当時、武蔵国を治めていた武蔵氏に対して賄賂を要求したことが、平将門の乱のきっかけとなる。 | 高麗神社668年、高句麗が新羅・唐連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国の大磯に渡来し、その後、716年、若光一族を含めた各地の高麗人が、埼玉県日高に集められたことになっている。埼玉の日高の高麗神社と、大磯の高句麗人の居住地に鎮座する高来神社は、東経139.32の南北ライン上に位置する。 | 高麗村 石器時代住居跡 | 氷川神社(埼玉県さいたま市)武蔵国一宮。古代から湧水が生じる地。見沼に面して、東京湾への出入口だった。 | 氷川神社(埼玉県川越市)。名椎(あしなずち)と手摩乳(てなずち)を足の神様として祀る。埼玉には、アラハバキ神の聖域が多いが、アラハバキ神は、足名椎(あしなずち)と手摩乳(てなずち)と重ねられている。この夫婦神も、あまり知られていないが、スサノオがヤマタノオロチを退治することで救われたクシナダヒメの親だ。 |
藤本観音山古墳(栃木県足利市)4世紀末に建造された巨大な前方後方墳の藤本観音山古墳。東日本最大の天神山古墳の東に3kmのところにある。全長117mを誇り、東日本で2番目、全国で5番目の前方後方墳である。この古墳の造営された場所は、渡良瀬川に伴う幾つもの小河川の間の平坦な地形であるが、南側に初期の水田開発には重要な機能を発揮したであろう水路遺構が存在している。に位置している。 | 氷川女體神社(埼玉県さいたま市)磐船祭の祭祀遺跡。アラハバキの聖域の多い埼玉県大宮市で、もっとも南に鎮座する氷川女體神社の主祭神は、クシナダヒメである。この神社のなかでもっとも重要な聖域は、磐船祭祭祀遺跡だ。ここではかつて、見沼に坐す女神に対して御船祭が行われていた。現在に至るまで、日本各地で、御船祭は、海上守護の祭りとして残っている。 | 麻止豆天神社(おおまとのつのてんじんしゃ)東京都稲城市。大麻止豆天神社(おおまとのつのてんじんしゃ)という式内社が鎮座しており、縄文時代からの大丸遺跡と接するこの神社は、祭神が、櫛真智命(くしまちのみこと)。 ほとんど知られていない神様だけど、神事・占いを司る神様。 | 武蔵御嶽神社の奥宮大麻止乃豆神社の論社の一つ。その祭神は、占いの神様の起源とも言われる櫛真智命(くしまちのみこと)で、中臣氏の祖神であるアメノコヤネの別名(平田篤胤説)とされたり、親神とされたりする。 奥多摩の武蔵御嶽神社の標高は800mを超え、東京の平野部の見晴らしが素晴らしく、浅草のスカイツリーまで見える。奥宮は標高1000m。古代、武蔵国を眼下に眺めながら、天神地祇を祀るのにふさわしいところ。 | 武蔵国一宮 小野神社(東京都多摩市))聖蹟桜ヶ丘にある東京の一宮。古代、現在の23区は人が住めない湿地帯もしくは海だったので、現在の聖蹟桜ヶ丘あたりが、多摩川から海に出入りする場所だったのかもしれない。この小野神社は、栃木の足利の真南で、富士山や伊勢神宮が冬至の太陽が沈む方向にある。また、真西には、甲斐一の宮の浅間神社、福井の気比神宮などがあり、重要なラインが交わっている場所である。 | 井之頭公園の湧き水。(東京都 武蔵野市)古代から湧水の地で、神田川の源流。井の頭公園から永福町の大宮八幡宮あたりまで、神田川にそって石器時代や縄文時代の遺跡が多い。 |
大宮八幡宮(東京都杉並区)東京のヘソに位置する。東京で3番目の大きさの境内を誇るが、1番と2番が明治神宮と靖国神社という明治政権の神社なので、歴史的には、ここが東京でもっとも大きな神社ということになる。この神社は、弥生時代の祭祀遺跡の上に築かれており、周辺には、石器時代や縄文時代の遺跡も多い。古代から現在まで湧水の出るところであり、目の前を流れる善福寺川も、武蔵野台地の湧水である。 |