Sacred world,  Our great spirit from ancient time

Tohoku Hokkaido

日本海-12
中津湖-4
日本海-11
日本海-7
日本海-8
日本海-3
日本海-2
日本海
ナゴ
かさのみさき-9
ぬなかわひめ-2
かさのみさき
中津湖-11
中津湖-7
青木湖
日本海-4
かさのみさき-7

日本の古代を解くための、鍵を握る地域。

 日本という国は、縄文文化の上に弥生文化が重なって育まれてきた。東北地方には、縄文遺跡が多く残されている。とくに環状列石は、日本には176ヵ所が確認されているが、秋田県には74ヵ所、北海道に29ヵ所と、半数以上が、ここに集中している。その理由は、未だわかっていない。

 また、約9000年前に作られた北海道函館の垣ノ島B遺跡の漆製品は、埋葬者の副葬品の衣服だが、頭から膝にかけておおわれた繊維が赤色に染められており、漆と、赤色を発色するベンガラを焼いて混ぜたものだ。

 そして、そこからわずか2kmほどの大船遺跡は、縄文中期(約5000年ほど前)の遺跡だが、膨大な数の石皿が発見されており、それらは、木の実やベンガラなど鉱物から色素を作り出すためのものでもあり、色素の大量生産が行われていたと考えられている。

 縄文土器も、世界最古の土器として知られるが、古代日本が、漆や土器だけに特殊化した文化を誇っていたわけではあるまい。

 漆や土器は、湿度に強く、そのため、湿潤な風土の日本で長く存続していただけであり、同じ時代に生み出されたものの多くが、湿潤な風土のなか、朽ち果ててしまった可能性がある。

 その真偽はともかく、漆製品だけを見ても、北海道は、世界的に明の先進国だったということになる。おそらく、当時と今では気候も異なっていただろう。しかし、それだけの知恵を持った人たちだから、北海道が寒冷化し、住むの適さなくなっても本州に南下することに苦労はなかっただろう。

 日本は、弥生時代が到来して大陸から新しい知識や技術が大量にもたらされるが、それ以前に蓄積された文化の厚みもあったはずで、その重なり合いがどうであったかを知ることが、日本を真に知るための鍵となるはずだ。

 

写真の上をクリックすれば、拡大されます。

東尋坊(福井県坂井市)。

東尋坊(福井県坂井市)。

輝石安山岩の柱状節理で、これほどの規模を持つものは世界に3ヶ所だけとされる。

福井県福井市の足羽山の継体天皇像。

福井県福井市の足羽山の継体天皇像。

この巨大な像は、足羽山から採掘される、福井ブルーとも称される笏谷石(しゃくだにいし)で作られている。継体天皇の時代の古墳に、この石材で作られた石棺が収められている。しかし、継体天皇の古墳の石棺は、阿蘇のピンク石で、九州から、大阪の高槻まで運ばれている。

東尋坊(福井県坂井市)。

東尋坊(福井県坂井市)。

奈呉の浦の雨晴海岸(富山県高岡市)。

奈呉の浦の雨晴海岸(富山県高岡市)。

万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し多くの歌を詠んだ。浜から眺める岩礁と、天気がよければ、富山湾越しに3,000m級の立山連峰がそびえるのが見える。

ヒスイ峡。新潟県糸魚川市)。

ヒスイ峡。新潟県糸魚川市)。

ヒスイ峡のある小滝川は、姫川と合流し、古代、日本海岸の糸魚川に流されたこの地のヒスイは、青森から九州まで流通していた。

明星山(新潟県糸魚川市)

明星山(新潟県糸魚川市)

石灰岩の山であり、かつては海の底だった。

白馬三山を源流に清冽な雪融け水が集まる松川は、やがて姫川に合流する。

白馬三山を源流に清冽な雪融け水が集まる松川は、やがて姫川に合流する。

姫川源流。(長野県北安曇郡白馬村)

姫川源流。(長野県北安曇郡白馬村)

木崎湖(長野県大町市)

木崎湖(長野県大町市)

田んぼのあるあたりは、一津という地名で、一津遺跡という縄文遺跡が発掘され、ヒスイを加工していた痕跡が見つかった。また、東北地方、東海地方、北陸地方、関東地方のそれぞれの地域から運ばれてきた土器が発見されており、各地と交流があったと思われる。

奴奈川姫の産所。(新潟県糸魚川市平)。

奴奈川姫の産所。(新潟県糸魚川市平)。

100万年前の海底火山の噴出物。

姫川源流の豊富な湧き水は、すぐに小川となって流れ出す。

姫川源流の豊富な湧き水は、すぐに小川となって流れ出す。

白馬三山を源流に清冽な雪融け水が集まる松川は、やがて姫川に合流する。

白馬三山を源流に清冽な雪融け水が集まる松川は、やがて姫川に合流する。

天津 奴奈川姫神社( 新潟県糸魚川市一の宮)

天津 奴奈川姫神社( 新潟県糸魚川市一の宮)

越後国一宮である天津神社の境内社。

放生津八幡宮 (富山県射水市)

放生津八幡宮 (富山県射水市)

古代から海上交通の要だった奈呉の浦に大伴家持が創建した。鎌倉時代、大伴氏の血を受け継ぐ北条時政が、再興した

加佐ノ岬。(石川県加賀市橋立町)

加佐ノ岬。(石川県加賀市橋立町)

奈呉の浦の雨晴海岸にある義経岩

奈呉の浦の雨晴海岸にある義経岩

源頼朝と対立し、京都より脱出した源義経は、奥州藤原氏を頼って逃避行をおこなう。その時、越中にまで辿り着いたが、この海岸で急な雨に遭い、弁慶が大きな岩を持ち上げ、一行が雨宿りできるようにしたという伝承が残る場所が、この義経岩である。このあたりの地名である雨晴は、この義経一行の伝承に由来する。

親知らず・子知らず(新潟県糸魚川市)

親知らず・子知らず(新潟県糸魚川市)

北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかったことから、こう呼ばれるようになった。

奴奈川神社(新潟県糸魚川市田伏)

奴奈川神社(新潟県糸魚川市田伏)

飯部磐座神社(福井県越前市)

飯部磐座神社(福井県越前市)

873年に土地の豪族伊部造豊持氏が創建し、そこで氏族の磐座祭祀を行ったと伝えられている。

ヒスイ峡にそびえる明星山。(新潟県糸魚川市)

ヒスイ峡にそびえる明星山。(新潟県糸魚川市)

青木湖(長野県大町市)

青木湖(長野県大町市)

豊かな湧き水の場所。ひすいの川、姫川は、かつて、今よりも南に伸びていたが、3万4000年前の巨大な崩壊と地滑りによって、せきとめられて、青木湖と中綱湖ができた。 そして、青木湖を起点に、それまで北上していた川が南に流れるようになった。その後、その川がせきとめられて木崎湖ができた。

中綱湖(長野県大町市)

中綱湖(長野県大町市)

舟津神社(福井県鯖江市)

舟津神社(福井県鯖江市)

北陸一の古社で、背後に王山古墳群がある。弥生時代後期、古墳時代前期、古墳時代中期からなる49基が確認され、出土している副葬品から東海や近江地方と交流があったことが考えられている。

兜山古墳(福井県鯖江市)

兜山古墳(福井県鯖江市)

北陸最大級の円墳で、一重ねの鏡餅のような姿をしています。雑木で覆われた古墳の頂上には、「八幡神社」が鎮座し古墳全体がその境内になっています