top of page

Sacred world,  Our great spirit from ancient time

Kumano Area

ほづかわ-53
ほづかわ-50
ほづかわ-52
ほづかわ-56
ほづかわ-51
ほづかわ-58
ほづかわ-57
ほづかわ-95
室戸-5
室戸
室戸-3
ひる
立岩
立岩-3
立岩-2
浦島-4
ほづかわ-47
ほづかわ-64
ほづかわ-93
今治
ほづかわ-55
ほづかわ-96
ほづかわ-66
ほづかわ-48
高知朝倉神社
愛媛-8
愛媛

古代史の謎を解く鍵を握る四国

 

 土佐というのは、実はとても不思議なところで、岩手、青森、北海道を除くと、唯一、前方後円墳が築かれなかったところだ。(現在の高知県では、土佐圏内ではなく西の端の九州に近いところに、原型はとどめていないが、それらしきものが一つだけ存在する。)

 そのためかどうか、土佐一宮の土佐神社の祭神は、出雲の神々である。

 しかし、縄文時代、弥生時代には大いに栄えており、近畿を代表する祭祀道具である銅鐸と、九州を代表する祭祀道具である銅矛や銅鏡が、ともに発見されたところ、つまり古代の東西世界の境界のようなところだった。

 また、阿波国も、日本古代における最重要地だった。日本最大の中州、善入寺島(旧粟島)の周辺は、忌部の地である。現在も、天皇の即位式である大嘗祭で用いられる麻織物のアラタエは、この地の忌部神社で織られ、その大切な仕事は、忌部氏の末裔である三木氏によって受け継がれている。

 さらに徳島市の国府は、律令時代の中心地であるが、その歴史は律令以前に遡り、この場所は、西日本最大の縄文遺跡のある場所であり、弥生時代においては、日本で唯一、集落の中に巨大な銅鐸が埋納されていた矢野遺跡がある場所だ。

 銅鐸というのは、通常、山と集落の境界などに埋納されているが、矢野遺跡においては、集落の中に埋納されており、だとすれば、ここは人が住む場所というより、祭祀の場所であり、日本の銅鐸祭祀の中心的な場所であった可能性がある。

 この矢野遺跡から望む気延山の領域には無数の古墳があり、3世紀後半という日本最古級の前方後円墳である宮谷古墳もある。

 つまり、この場所は、銅鐸祭祀と、日本最古級の前方後円墳が重なっている。そして、気延山にある無数の古墳の一つの上に築かれているのが八倉姫神社であり、この古墳は、卑弥呼の古墳であるという研究者もいる。

 

写真の上をクリックすれば、拡大されます。

轟九十九滝(徳島県海部郡海陽町)

轟九十九滝(徳島県海部郡海陽町)

剣山系の山々を源流とする海部川の上流部にある轟の滝。このあたりの山岳地帯は、年間降雨量3,000ミリに達する全国有数の多雨地域。

室戸岬のアコウの木。

室戸岬のアコウの木。

室戸岬。先端部分のタービダイト(海底堆積岩)

室戸岬。先端部分のタービダイト(海底堆積岩)

海底プレートに押し付けられて、異なる時代の地層が垂直になっている。

青年時代の空海が修行をした御厨人窟。

青年時代の空海が修行をした御厨人窟。

この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされるが、この場所で難行中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けたと伝えられている。

立岩神社(徳島県名西郡神山町)

立岩神社(徳島県名西郡神山町)

神山の上一宮大粟神社から2kmほど山中に分け入ったところに鎮座する立岩神社。青石の巨岩が御神体。周辺一帯も青石の地層。

上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)

上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)

オオゲツヒメを祭神とする。長い石段は、青石でできている。

鮎喰川の支流の高根谷川の渓流。(徳島県神山町)

鮎喰川の支流の高根谷川の渓流。(徳島県神山町)

上流に雨乞いの滝がある。

御崎神社の鳥居(愛媛県今治市)

御崎神社の鳥居(愛媛県今治市)

このあたりは縄文時代から人々の営みがあったところで、中世には、海賊の拠点だった。

高知県足摺岬

高知県足摺岬

高知県足摺岬は、黒潮が直接ぶつかる場所。黒潮は日本列島に沿って東に向かい、房総半島沖に達する海流だが、一部はさらに北上して東北地方の三陸海岸沖に達する。黒潮の幅は日本近海では100km程度で、最大流速は約7.4km/hになる。黒潮本流の南側には、反対方向に向かう弱い流れがある。

足摺半島のアコウの大樹。

足摺半島のアコウの大樹。

竜宮神社(高知県土佐清水市)。

竜宮神社(高知県土佐清水市)。

足摺半島の西の岬の臼碆海岸に位置し、黒潮が日本列島で最初に接岸する場所で、荒波に削られた花崗岩の断崖絶壁が広がる。

足摺岬の白山洞門。

足摺岬の白山洞門。

高さ16m、幅17m、花崗岩洞門では日本一の規模と言われる。

唐人駄場巨石群(高知県土佐清水市)。

唐人駄場巨石群(高知県土佐清水市)。

この巨石群は、海上から望見できるランドマークであり、海を行き交う海人の目印であるとともに、神の依り着く聖なる場所で、航海安全や豊漁を祈念する場所であったと考えられる。

唐人駄場巨石群(高知県土佐清水市)。

唐人駄場巨石群(高知県土佐清水市)。

再生のエリアと呼ばれる聖域。

安居渓谷(高知県仁淀川町)。

安居渓谷(高知県仁淀川町)。

西日本最高峰の石鎚山系の森から流れ込む安居川で、仁淀川エリア随一の仁淀ブルーの地。断層の複雑な地形が川によって削られ、断崖、巨石、滝と瀞が形成されて変化に富む渓谷となっている。上流左岸には江戸時代から明治時代に栄えた安居銅山があり、流域には古式ゆかしい安居神楽が伝わる。

足摺岬の石抱きアコウ。

足摺岬の石抱きアコウ。

安居渓谷(高知県仁淀川町)。

安居渓谷(高知県仁淀川町)。

落差60mの昇竜の滝。

高知県の仁淀川と上八川川の合流点。

高知県の仁淀川と上八川川の合流点。

左の仁淀川は仁淀ブルーで知られ、水質は日本一。古代、神に捧げる酒を醸造した「神河(みわがわ)」や、朝廷に鮎を納めた「贄殿川」(贄殿とは宮中の厨房)から、仁淀川に転じたという説がある。

若杉山(徳島県阿南市)の辰砂の採掘跡。

若杉山(徳島県阿南市)の辰砂の採掘跡。

これまでに発見されている日本最古の鉱山で、3世紀の卑弥呼の時代に遡る。

白浜海岸(高知県安芸郡東洋町)。

白浜海岸(高知県安芸郡東洋町)。

このあたりは、高知県屈指の遠浅の海岸で、満潮時でも30~50mは浅瀬が続く。

香川県荘内半島。浦島神社が鎮座する丸山島。

香川県荘内半島。浦島神社が鎮座する丸山島。

荘内半島には、浦島太郎の伝承が多く残る。紫雲出山は、玉手箱から出た煙が紫の雲となってかかった山とされる。

楢原山(愛媛県今治市)

楢原山(愛媛県今治市)

楢原山(愛媛県今治市)の山頂付近の子持ち杉。山頂には1300年前に創建された奈良原神社跡があり、その場所から、平安時代末期の全長71.5cmの銅宝塔などが出土し、国宝指定された。奈良原神社は、役小角が伊豆に配流される前、この地の豪族、越智玉興に迎えられ、創建したとされる。

高越寺(徳島県吉野川市)。

高越寺(徳島県吉野川市)。

和歌山県と徳島県の中央構造線にそって吉野川という同じ名前の川が流れる。徳島県の吉野川流域に聳える高越山は、阿波富士と称され、山頂に、 役小角が建立し空海が修業に訪れたといわれる高越寺がある。四国と黒潮でつながる伊豆半島や房総半島にも、「あわ」という名の古代からの聖域が多く残っている。

仙遊寺(愛媛県今治市)。

仙遊寺(愛媛県今治市)。

天智天皇の勅願により、当時の国守であった越智守興(おちもりおき)によって建立された。標高300mの作礼山の頂上付近に堂宇を建立したのが始まりといわれており、作礼山の麓には、越智守興をまつった三嶋神社が鎮座している。

仙遊寺(愛媛県今治市)

仙遊寺(愛媛県今治市)

仙遊寺(愛媛県今治市)の御本尊の千手観音菩薩像は、竜女が海から竜登川を伝って作礼山に登り、一刀刻むごとに三度礼拝し、何日もかけて彫ったものだという伝承があり、海神信仰との結びつきが秘められている。

仁淀川の支流としては最大の川、上八川川(高知県吾川郡)。

仁淀川の支流としては最大の川、上八川川(高知県吾川郡)。

このあたりは、上八川-池川構造線とよばれる大断層である。四国中央部は、中央構造線が東西に走っており、それにそって山脈がそびえ、2000m級の山も数多くある。中央構造線の北側は、地下深くの高圧条件で形成された変成岩の結晶片岩が隆起し、南側は大陸のふちに沈み込むプレートからはがされた堆積物で形成され、その境界は大規模な構造線となっている。

岩屋寺(愛媛県高原町)。

岩屋寺(愛媛県高原町)。

四国八十八ヶ所霊場の第45番札所。東西に70mと95mの高さで聳え立つ奇岩、金剛界峰と胎蔵界峰の間に寺が建てられている。開基は空海とされ、結晶片岩を主とした岩山全体を本尊としたとされる。長年の風化によって生じた岩窟に僧が籠り修行を行っていた。瀬戸内海の海人である河野氏の出身である一遍は、全国を行脚して踊り念仏を広めたが、この寺に参篭したことが、一遍聖絵に描かれている。

多伎神社古墳群(愛媛県今治市)。

多伎神社古墳群(愛媛県今治市)。

円墳で、内部玄室と、これに通ずる索道を備えた完全な横穴式石室をもったものが多い。この古墳群のすぐ近く、朝倉の地でも高速道路の建設中にたくさんの古墳が発見された。

多伎神社古墳群(愛媛県今治市)。

多伎神社古墳群(愛媛県今治市)。

3万坪に近い境内の敷地に自然林が茂り、山頂近くに奥の院に磐座があるが、もとはこの磐座信仰に始まるとされる。社殿の裏及び境内一帯に30数基の古墳群がある。西暦6~7世紀頃のものとされ、当時、この地方を支配していた越智氏一族の墓であろうと推定される。

高知市、赤鬼山の朝倉古墳

高知市、赤鬼山の朝倉古墳

四万十川と後川の合流地点。

四万十川と後川の合流地点。

土佐一宮の土佐神社。

土佐一宮の土佐神社。

祭神は、出雲の神々だが、この磐座は古代に遡る祭祀場と考えられている。このあたりは、火成岩の蛇紋岩地層であるが、この磐座は堆積岩のチャートであり、なぜここに存在しているか謎とされる。

大麻比古神社(徳島県鳴門市)の、推定樹齢が約800年の大楠。

大麻比古神社(徳島県鳴門市)の、推定樹齢が約800年の大楠。

阿波國一宮の大麻比古神社。大麻比古神は、 天日鷲命の子で、阿波忌部氏の祖とされる。背後の大麻山が、神体山。

吉野川の日本最大の中州である善入寺島

吉野川の日本最大の中州である善入寺島

この中州は、緑色片岩の硬い岩で覆われ、その岩盤の上に、聖域が築かれていたが、明治政府によって、ダイナマイトで破壊された。そして、かつてはこの島に3000人が暮らしていたが、強制的に移住させられた。今では、広大な敷地に畑が広がる。向こうに見えるのが、阿波富士と呼ばれる聖山、高越山。

瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山祇神社。

瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山祇神社。

全国にある三島神社や大山祇神社の総本社であり、山の神、海の神、戦いの神、渡しの神として古代から祀られ、とくに歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。大山祇神は、天孫降臨のニニギの妻となったコノハナサクヤヒメの父親であり、つまり、天孫降臨よりも以前から日本で影響力のあった神ということになる。

天川神社

天川神社

天川神社が鎮座する土器川は、かつて、吉野川とつながっていた。地勢的に似ており、この聖域も、花崗岩地帯にある。この天川神社に祀られている興登魂命(こごとむすびのみこと)は、中臣氏の祖であるアメノコヤノの父であるが、なぜか、中臣氏(藤原氏)は、そのことに触れない。興登魂命(こごとむすびのみこと)は、天津羽羽神の姉妹である己等乃麻知比売命(コトノマチヒメミコ)と結ばれてアメノコヤネが生まれている。

徳島市の国府の気延山にある八倉姫神社。

徳島市の国府の気延山にある八倉姫神社。

徳島市の国府の気延山にある八倉姫神社。古墳の上に築かれている。周辺には無数の古墳がある。そして、西日本最大の縄文遺跡と、集落の中に銅鐸が埋納されていた矢野遺跡が、周辺に広がる。

黒部渓谷。

黒部渓谷。

矢野遺跡

矢野遺跡

徳島市の国府の気延山を望むこの場所が矢野遺跡で、日本で唯一、集落の中に銅鐸が埋納されていた。無数の古墳がある気延山に、無数の送電塔が立ち並ぶのは、不吉なものがある。

bottom of page