日本人の心のふるさと
大和から伊勢へ
Mie,Nara Area
万世一系が真実かどうかはともかく、日本の天皇制は1400年以上もの歴史があり、これだけ長きにわたって、一国の権威的な存在であり続ける皇室は他にない。その天皇制のルーツは大和にある。
そして、伊勢神宮は、20年に1度の遷宮を繰り返しながら、天皇制と同じくらいの長い歳月の間、日本人に大切にされてきた。ともに、日本人の心の深いところに根ざしている崇敬の対象ゆえに、国家神道の暴力に利用された苦い歴史もあり、今後もその可能性に注意を払わねばならないが、どれだけ近代合理主義が進もうとも、天皇制や伊勢参りは、多くの人々に支持され続けている。その理由は、明確にはわからないが、無宗教と言われ精神的拠り所を喪失した現代日本人にとって、心のふるさというべきものを、そこに感じるからだろう。
絶対的に正しいと言えるものは何1つないが、長く続いてきているものには何かしらの真実がある。
伊勢神宮は、個人的なお願いごとをする場所ではなく、神様に日頃の感謝を伝えるところである。そして、天皇は、国民の平和と安寧のために、日々、心をこめて宮中祭祀を行っている。
日本人が、心のふるさとを感じるものは、目には見えないけれど、何かがいつもそばで見守ってくれている。そう感じさせてくれる有難い存在なのだろう。
*これらは、ピンホールカメラで撮影した写真です。写真の上をクリックすると、画像が大きくなり、キャプションが表示されます。
三輪山の傍にある箸墓古墳。古代からの聖地、ヤマトの三輪山の麓にある巨大な前方後円墳、箸墓古墳。一部には卑弥呼の墓を考える人もいる。(古墳時代初期、3世紀末から4世紀初頭) | 交野 星田妙見妙見山の頂上に社殿があるが、その上に、古代からの聖域の磐座がある。 | 交野 磐船神社ニギハヤヒ降臨の場所とされる。この磐座と、星田妙見宮の頂上の磐座は、キラキラと光る石英が混ざった同じ岩石だった。 | 柳生の里、天石立神社。天石立神社。右側/前立磐:豊磐牖命(とよいわまどのみこと)の神体岩。左側/後立磐:櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)の神体岩。柳生宗厳(柳生石舟斎)が、この地で剣術の修行をしたと伝え、江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬された。本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとるこの神社は、『延喜式神名帳』に「天乃石立神社」と記載されているので、その信仰の歴史は、柳生よりもはるかに古い。 | 垂仁天皇陵第11代垂仁天皇綾。若狭の小浜と本州最南端の潮岬を南北に垂直に結ぶラインにそって、平城京のすぐ傍に、第11代垂仁天皇綾や佐紀古墳群など、巨大な前方後円墳が多く存在する。奈良の南東部、三輪山の近くの纒向(まきむく)に、3世紀中頃、箸墓古墳が作られた。このあたりの古墳づくりが衰退する4世紀後半頃から5世紀後半にかけて、佐紀古墳群と、仁徳天皇綾などがある大阪府堺市の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)で、古墳作りが行われた。なぜ、同じ時代、異なる場所に大古墳が作られたかは謎である。 | 柳生の里、天石立神社。(右)天石立神社。鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、全て3,123柱の神々が宿るとしている。 |
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柳生の里、天石立神社。柳生の里、標高330メートルの山中にある天石立神社。柳生宗厳(柳生石舟斎)が、この地で剣術の修行をしたと伝え、江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬された。本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとるこの神社は、『延喜式神名帳』に「天乃石立神社」と記載されているので、その信仰の歴史は、柳生よりもはるかに古い。 | 山城の朱智神社(右)京都府田辺市にある朱智神社。祭神は、迦爾米雷王(かにめいかずちおう)。神功皇后の祖父であり日子座王の孫。朱智神社は、木津川のほとりの椿井大塚山古墳の近くの山上に位置している。椿井大塚山古墳は、卑弥呼の鏡とも言われる三角縁神獣鏡が32面(日本全体で540面)も発見された。鏡以外に、鉄製の武具、農具、漁具が数多く発掘されている。朱智神社と椿井大塚山のあいだには、多々羅という製鉄に関する地名があり、そこが、継体天皇が宮を置いた筒城宮の伝承地である。ヤマトの北部から北上し、現在の石清水八幡、かつて巨椋池のあったところで桂川と宇治川と合流し淀川となる木津川流域。このあたりに勢力を誇っていたのは、古事記にもっても多く登場する氏族、和邇氏である。 | 石舞台古墳奈良県明日香村の石舞台古墳。被葬者は蘇我馬子という説が有力である。 | 多度大社多度大社。天照大神の子、天津彦根命を主祭神とする。伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片詣り」とも詠われた。 | 日葉酢姫陵 | 奈良豆比古神社奈良市の元明天皇、元正天皇綾の傍にある奈良豆比古神社の樹齢1000年余といわれる楠木。 |
三重県津市の石山観音。山そのものが巨岩の石山の面に、40体余の磨崖石仏が点在。その由緒は謎。現在は、人里離れた場所だが、かつては、京や近江と伊勢を結んだ旧伊勢別街道に近い。 | 多度大社多度大社には、天津彦根命の御子神である「天目一箇神」(あめのまひとつのかみ)も祀られている。 天目一箇神は、製鉄・鍛冶だけでなく天候も司るとされており、雨乞いの神様としても信仰がある。 | 椿大神社鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社。猿田彦大神」を主神とするが、この神社の境内に、御船磐座(みふねいわくら)がある。第11代垂仁天皇20年に、入道ヶ嶽(高山)より猿田彦大神の御神霊を奉祭したと伝えられている。 また、 謡曲「鈿女」(うずめ)にうたい込まれている神代の神跡で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、御船でここに降臨したという。 | 伊勢 内宮 宇治橋冬至の日、伊勢神宮内宮の宇治橋前の大鳥居のまん中から朝日が昇る。また夏至の時、伊勢市の二見浦の夫婦岩中心から、富士山と日出が重なる光景を見ることができる。 | 伊勢 内宮 五十鈴川 | 成務天皇陵 |
木津川 岩船寺。笑い仏(阿弥陀三尊磨崖仏) | 奈良県御所市 高天彦神社奈良の金剛山東麓に鎮座する高天彦神社。高天原の伝承地とする説が古くからあり、仁徳天皇から雄略天皇の頃まで大和朝廷を支えた葛城氏の祖神で、天地開闢の時に出現した3神の1神「高皇産霊尊」を祀っている。 | 三重県津市の石山観音。 | 伊勢 豐受大神宮別宮 月夜見宮 | 熱田神宮 | 西大寺 |
伊勢神宮内宮の別宮、月讀宮境内の月讀荒御魂宮。 | 奈良県御所市 高鴨神社(左)金剛山東山麓の高鴨神社。京都の上賀茂、下鴨の両神社を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社。全国にその名が見られる鴨氏 一族の発祥の地である。 |
There is neither beginning nor end in the work of life, This remains unchanged in the past,the present,the future, Everything works, continually complementing, The pattern changes constantly. Life spreads all throughout nature without division, What eats others is eaten by others, The previous condition limits the later one. However life being eaten results
いのちの働きに、初めも終わりもない。 過去、現在、未来にわたって変わることもなく、 あらゆるものが、働き合い、補い合いながら連続し、 その模様は、たえず変わり続ける。 いのちは、すべてのものに分け隔てなく行き渡っているが、 食べるものと食べられるものが存在し、 前の条件が後のものを限定する。 しかし、食べられることで別の形で生きることや、 前の条件が壊れて次の土台となることもある。 時には、いのちの冒険によって、新たな生の条件が作られる。 水中から陸上へ、大地から空へ、森からサバンナへ、大陸から別の大陸へ、 新たな生の条件によって、多様なすみわけが進む。 そしてまた、互いに関係し合い、調和と安定を目指し、矛盾を生む。
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There is neither beginning nor end in the work of life, This remains unchanged in the past,the present,the future, Everything works, continually complementing, The pattern changes constantly. Life spreads all throughout nature without division, What eats others is eaten by others, The previous condition limits the later one. However life being eaten results