琵琶湖のめぐみと、古代の面影
近江への旅
Oumi Area
琵琶湖の湖東、近江八幡から東近江、そして栗東にかけて、裾野が広がった美しい姿の岩山が数多く点在している。
それらの山々の多くは、頂きに巨大な磐座が鎮座し、古代から聖なる山、神が宿る神体山として崇められてきた。
東近江で太郎坊宮として知られる阿賀神社が鎮座する標高350mの赤神山を中心として、約7000万年前の火山活動の名残であるカルデラが、ぐるりと環状形に広がっており、その環は、琵琶湖の湖西の比良山系や伊勢と近江のあいだに横たわる鈴鹿山脈にまで及ぶ。長い歳月を経て、花崗岩とか、マグマで焼き固められた硬い変成岩以外の柔らかいところは風化されていった。それらの山の頂上付近は、柔らかい土の層が洗い流されて岩盤が剥き出しになっており、数々の磐座がある。
古代人は、それらの磐座を神聖視した。そして、春秋など特定の日時に、麓のクニの住民たちが山に登り、一緒に食事をして、磐座のまわりで歌垣が行われた。歌垣は、若い男女が伴侶を見つけるためのもので、互いに求愛歌を掛け合いながら、機知や教養が試された。時に、老人が、若い頃の過ちなどを歌い上げ、人生はそんなに長くないのだと消極的な男女に恋することを促した。多くのカップルが誕生することが豊作につながると信じられていたのだ。
古代歌謡としての歌垣は、古事記、万葉集、風土記などに見られるが、日本の歴史上もっとも優れた小説とされる『源氏物語』の中でも、男女の重要な交流手段となっている。
*これらは、ピンホールカメラで撮影した写真です。写真の上をクリックすると、画像が大きくなり、キャプションが表示されます。
長命寺山から望む近江八幡方面。白洲正子が、琵琶湖が一番美しく見える場所だと言った。 | 長命寺 | 石山寺紫式部が「源氏物語」の執筆を始めたとされる石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から流れ出る瀬田川の右岸にある。石山寺は、その名の通り、巨大の石(岩)の上に築かれている。花崗岩マグマと石灰岩が接触すると、石灰岩が熱変成し、珪灰石とか大理石ができるそうだが、石山寺が建っているのは、珪灰石の上で、珪灰石の下に大理石の岩盤がある。石山寺の珪灰石は、層状で強く褶曲していて、平地のところに褶曲したものが見られるのは珍しいらしい。 | 妙光寺山の麓の三上神社から見る三上山。三上神社から望む三上山。標高432m。琵琶湖周辺のどこからでも、その美しい姿を見ることができる。この山頂からは、比叡山、鶏冠山から龍王山など近江の様々な聖山や、天気が良いと生駒山まで見える。 | 近江富士 三上山山頂の磐座三上山の祭神は、鍛冶を司る神、天之御影。その子孫とされる息長水依比売命が、和邇氏の血を受け継ぐ日子座王と結ばれて丹波道主命が生まれた。その娘が第11代垂仁天皇の妃となった日葉酢媛命(ひばすひめ)で、ヤマトタケルの父親の景行天皇と、倭姫命(やまとひめのみこと)を生んだ。倭姫命は、アマテラスを祀る場所を探し求めて大和から伊賀・近江・美濃・尾張を経て伊勢へと巡行したが、ヤマトタケルに草薙の劔を与えたことでも知られている。 三上山は、古事記の中で描かれる重要な物語へとつながるミステリアスな結び目となっている。この山の麓には、琵琶湖に注ぎ込む川としては最大の野洲川が流れ、琵琶湖と、甲賀、伊賀を結び、大和や伊勢に至る道となっている。倭姫命が巡歴した場所の伝承地も、この野洲川の流域に数多くある。 三上山の周辺には銅鐸も数多く発見されており、日本最大の銅鐸も、この周辺で発見された。さらに三上山を仰ぐ地にある伊勢遺跡は、弥生時代後期の遺跡としては、国内最大級で、佐賀の吉野ヶ里遺跡に匹敵する。大和朝廷は三上山周辺に存在したと唱える新説もある。 | 日吉大社の背後の森日吉大社の背後の森。日吉大社は、平安京の東北の鬼門、比叡山及び境内の八王子山を神体山とする神社。平安京の西に鎮座する松尾大社と同じ大山咋神を祀る。八王子山の頂きに巨大な磐座がある。 |
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白髭神社(近江高島)白髭神社(近江高島)。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。祭神は猿田彦命。 | 近江八幡野田町のコスモス畑(右)近江八幡市北部の奥津山。「元富士」という別名もあり、地元に人からは権現山の名で親しまれる。長命寺山、津田山、伊崎山とともに連山を成し、奥島丘陵と呼ばれる。古代、この一帯は、琵琶湖に浮かぶ島で、湖上の神体山として信仰されていた。 江戸時代、近江商人が活躍した近江八幡は、古くから、京都と東国、日本海側との交通の要所にあった。天下統一をめざす戦国大名たちにとっても重要地で、畿内を平定し天下統一を目前にした織田信長は、安土に壮大な城を築き、拠点とした。 古代は、倭漢氏(やまとのあやうじ)系の大友日佐氏や、秦氏系の安吉勝(あぎのすぐり)氏などの渡来人が活躍し、この地を開発していたことがわかっている。 | 九頭弁財天八大龍王甲賀から信楽盆地を貫流し、瀬田川(淀川)に合流する大戸川の河川敷にある。大戸川にそって、紫香楽宮など歴史的に重要な場所が存在するが、この川は、田畑に恵みをもたらす一方で、度々の氾濫によって人民を苦しめた。 | 九頭弁財天八大龍王 | 太郎坊宮の夫婦岩(左)近江八幡、太郎坊阿賀神社の夫婦岩。山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭した。その修験者の守護神とされたのが太郎坊の天狗で、現在も神社の守護神である。本殿前にある夫婦岩は、神の神通力によって開かれたと伝えられ、悪心のある者が間を通ると挟まれるとされる。 | 妙光寺山三上山の北に位置する標高267mの山。山麓には古墳時代の石室のほか、磨崖仏などが残されており、歴史的に重要な地域であると考えられている。付近から、銅鐸も数多く出ており、日本最大の銅鐸の発見地でもある。 近江富士と呼ばれる三上山の真北に面しているが、この山の麓に三上神社があり、ここから見る三上山の姿が美しい。三上神社の社伝には、三上山麓に天之御影命が降臨になったと伝えている。三上山の西には、本殿が国宝の立派な御上神社があるが、そこから見ると、三上山は二つの山に別れて見える。 |
滋賀県蒲生郡竜王町の鏡山山頂にある竜王宮。三上山の東に聳える鏡山は西の竜王山と呼ばれ、東にもう1つの竜王山(雪野山)がある。鏡山も雪野山も、藤原定家、和泉式部、柿本人麻呂など、古くから歌人に詠まれたところだった。 神功皇后の毋の祖先にあたる天日槍皇子(あめのひぼこ)が丹後の出石へ行く前に、鏡を山中に埋めたという伝説から、この鏡山という名が付いた。竜王が棲む伝説のある雨乞いの山でもあり、山頂の竜王宮には、雨の神・水の神ともいわれる八大竜王の一つ摩耶斯竜神(まなしりゅうじん)が祀られている。 蒲生郡には、数多くの異なる氏族の渡来人が居住していたことがわかっており、この地域の開発に、彼らの技術や知識が大いに発揮された。 また、日本書紀」には、天智8年(669年)に、百済人男女7百余人を近江国蒲生郡に移住させた、という記載もあり、当時、この地域は人々の往来が多く、異文化交流が盛んで、コスモポリタンの雰囲気を醸し出していたことが想像できる。 | 白髭神社の背後、比良山脈の岳山山頂付近。 | 藤ヶ崎龍神社古代、この地は「水茎の岡」とも呼ばれていた。 「水茎(みずくき)」とは、筆や筆跡のこと。万葉集や新古今和歌集等にはここ水茎の岡を詠んだ歌が多数あり、この地は、古代から名勝だった。 湖の向こうに見えるのは、近江八幡の湖岸に立つ長命寺山。(対岸のように見えるが、近江八幡市の湾の向こうの岩山)。808段の石段を登ると長命寺があり、さらにその上の太郎坊大権現からの風景は、白洲正子が「近江の中で一番美しい場所」と讃えた。 江戸時代、近江商人が活躍した近江八幡は、古くから、京都と東国、日本海側との交通の要所にあった。天下統一をめざす戦国大名たちにとっても重要地で、畿内を平定し天下 古代、この地は「水茎の岡」とも呼ばれていた。「水茎(みずくき)」とは、筆や筆跡のこと。万葉集や新古今和歌集等にはここ水茎の岡を詠んだ歌が多数あり、この地は、古代から名勝だった。湖の向こうに見えるのは、近江八幡の湖岸に立つ長命寺山。(対岸のように見えるが、近江八幡市の湾の向こうの岩山。808段の石段を登ると長命寺があり、さらにその上の太郎坊大権現からの風景は、白洲正子が「近江の中で一番美しい場所」と讃えた。 | 大将軍神社(坂本)大将軍神社 樹齢/300年以上のスダジイ | 白髭神社(近江高島)白髭神社境内の岩戸社。神体山の岳山は禁足地である。磐座の背後に見えるのは古墳の石室である。 | 東近江の船岡山麓の阿賀神社。 御神体は巨大な磐座。東近江の船岡山麓の阿賀神社。祭神は猿田毘古神。東近江市には夫婦岩で知られる太郎坊阿賀神社もあるが、この阿賀神社にも巨石が祀られている。船岡山一帯は、古代、蒲生野と呼ばれ、額田王と大海皇子が、蒲生野遊猟の時に歌を交わした場所とされる。 |
信楽 天王神社紫香楽宮の傍に鎮座する天王神社の本殿の裏の磐座。甲賀と淀川を結ぶ大戸川沿いにある。祭神は素盞鳴尊。伝承では、聖武天皇が紫香楽宮へ行幸の時、朝夕御拝のあった神社であると伝えられる。 | 飯道山 紫香楽宮の背後の修験の山、神仏習合の山。 | 信楽 天王神社 | 日吉大社の背後の森 | 猪子山の麓にある磐船。猪子山の麓にある磐船。琵琶湖の対岸の高島比良の山より、湖上を超えてやってきた比良大神(白髭明神)が乗ってきた船とされる。 | 日吉大社の背後の森 |
日吉大社の門前町 坂本 穴太衆の石垣 | 猪子山 磐座(北向十一面岩屋観音の御神体 | 小野妹子の古墳(大津市小野)小野妹子の古墳と考えられる唐臼山古墳。現在、琵琶湖大橋が掛かる琵琶湖で最も狭いところに小野郷があり、小野篁をはじめとする小野氏を祀る神社や、唐臼山古墳をはじめ無数の古墳がある。 |
There is neither beginning nor end in the work of life, This remains unchanged in the past,the present,the future, Everything works, continually complementing, The pattern changes constantly. Life spreads all throughout nature without division, What eats others is eaten by others, The previous condition limits the later one. However life being eaten results
いのちの働きに、初めも終わりもない。 過去、現在、未来にわたって変わることもなく、 あらゆるものが、働き合い、補い合いながら連続し、 その模様は、たえず変わり続ける。 いのちは、すべてのものに分け隔てなく行き渡っているが、 食べるものと食べられるものが存在し、 前の条件が後のものを限定する。 しかし、食べられることで別の形で生きることや、 前の条件が壊れて次の土台となることもある。 時には、いのちの冒険によって、新たな生の条件が作られる。 水中から陸上へ、大地から空へ、森からサバンナへ、大陸から別の大陸へ、 新たな生の条件によって、多様なすみわけが進む。 そしてまた、互いに関係し合い、調和と安定を目指し、矛盾を生む。
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There is neither beginning nor end in the work of life, This remains unchanged in the past,the present,the future, Everything works, continually complementing, The pattern changes constantly. Life spreads all throughout nature without division, What eats others is eaten by others, The previous condition limits the later one. However life being eaten results