聖なる世界
古代史 | 日本 | ピンホールカメラで撮影した聖なる世界
EYE OF NATURE
古代から人間が聖地として崇めてきた場所は、現代の人間にも働きかける独特の気配がある。その気配は、そこにある山、海、湖、川、森、岩などの形や、それらの組み合わせによって生じるハーモニーなどによって生じている。その感覚は、古代から現代まで、人間の美意識として一貫して流れているものであり、だからこそ、現代でも、多くの人が、聖地と呼ばれる場所に足を運ぶ。古代人が神を祀ったのも、自分を超えた力の存在をそこに感じたからだろう。人間の美意識は、自分を超えたものとの出会いを求めている。時には、その力によって、自分の無力さを思い知らされることがあっても。その理由はわからないが、古代人も現代人も、その意味では根本的に変わっていない。
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Photographs by Tsuyoshi Saeki
Oumi Area
藤ヶ崎龍神社。古代、この地は「水茎の岡」とも呼ばれていた。「水茎(みずくき)」とは、筆や 筆跡のこと。万葉集や新古今和歌集等にはここ水茎の岡を詠んだ歌が多数あり、この地は、古代から名勝だった。湖の向こうに見えるのは、近江八幡の湖岸に立つ長命寺山。(対岸のように見えるが、近江八幡市の湾の向こうの岩山。808段の石段を登ると長命寺があり、さらにその上の太郎坊大権現からの風景は、白洲正子が「近江の中で一番美しい場所」と讃えた。 | 猪子山の麓にある磐船。琵琶湖の対岸の高島比良の山より、湖上を超えてやってきた比良大神(白髭明神)が乗ってきた船とされる。 | ||
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猪子山の麓にある磐船。琵琶湖の対岸の高島比良の山より、湖上を超えてやってきた比良大神(白髭明神)が乗ってきた船とされる。 | |||
Katuragi,Tango,Kawachi,Ise Area
Photographs by Tsuyoshi Saeki
There is neither beginning nor end in the work of life, This remains unchanged in the past,the present,the future, Everything works, continually complementing, The pattern changes constantly. Life spreads all throughout nature without division, What eats others is eaten by others, The previous condition limits the later one. However life being eaten results
いのちの働きに、初めも終わりもない。 過去、現在、未来にわたって変わることもなく、 あらゆるものが、働き合い、補い合いながら連続し、 その模様は、たえず変わり続ける。 いのちは、すべてのものに分け隔てなく行き渡っているが、 食べるものと食べられるものが存在し、 前の条件が後のものを限定する。 しかし、食べられることで別の形で生きることや、 前の条件が壊れて次の土台となることもある。 時には、いのちの冒険によって、新たな生の条件が作られる。 水中から陸上へ、大地から空へ、森からサバンナへ、大陸から別の大陸へ、 新たな生の条件によって、多様なすみわけが進む。 そしてまた、互いに関係し合い、調和と安定を目指し、矛盾を生む。
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There is neither beginning nor end in the work of life, This remains unchanged in the past,the present,the future, Everything works, continually complementing, The pattern changes constantly. Life spreads all throughout nature without division, What eats others is eaten by others, The previous condition limits the later one. However life being eaten results