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 日本列島は、地球を覆っている14,5枚のプレートのうち4枚が衝突し、プレート同志が圧縮し合ったり、一方の下に沈み込んだりという、非常に複雑で脆弱な地殻の上に成り立っている。

 マグネチュード7以上の地震は、この90年間に世界中で900回ほどあり、そのうちの10%が、この狭い日本に起きている。地震や火山活動の多発地域であり、さらに、毎年のように幾つもの台風に直撃される日本は、古代から、自然の威力を前に人間の無力を感じずにはおれないところである。

 その反面、日本の近海は、寒流の千島海流と暖流の日本海流がぶつかる潮境であり、そこに豊富なプランクトンが生まれ、その餌を求めて2つの海流に生息する魚が集まり、条件のよい漁場になっている。また日本は四季の移り変わりの中で食彩に富み、自然の恵みを感じやすいところでもある。

 こうした日本の風土において、自然を敵対的なものとみなす西洋的な合理精神は、本来、相応しいものではなかった。人間の都合で自然を管理することなどあり得ず、自然の摂理を読み誤らないように心を集中して何事に対しても謙虚を心がけ、いつ天災などで全てを失うようなことがあっても仕方がないと覚悟を決めること。その覚悟があるから、今生きていることに感謝できる。それが、日本人の信仰であった。

 日本を東西に縦断するようにして中央構造線という巨大な断層がある。地下活動が激しく地震も頻発するが、かつては黄金のジパングと呼ばれたように地下資源を多く産出した鉱山が付近に多く点在するこの活断層の上に、東の鹿島神宮から西の高千穂まで、伊勢、諏訪、戸隠、豊川稲荷、高野山など日本の重要な聖地があることは、よく知られている。

 また、古くからの聖地である安芸の宮島や、現在、多くの人が癒やしを求めて訪れる屋久島は、島全体が花崗岩でできている。花崗岩は、マグマが地下深部で水の影響を受けながら数10万~数100 万年くらいかけてゆっくり冷えて固まってできたもので、大陸を構成する岩石としては一般的だが、深成岩ゆえに、多くは地下深くに広がっている。しかし、日本列島のようなプレートの境界面では、造山活動で地表に隆起してくる。この花崗岩地域は、ウラン、トリウム、カリウムを高濃度に含有し、自然放射線量が高い。

 日本最大のウラン鉱床があり核燃料鉱床として採掘の対象となった岐阜県の東濃地域の地質も、約7000年前、恐竜がもっとも栄えていた時代の花崗岩を基礎としている。美濃焼で有名でこの地域は、日本最大の陶磁器生産拠点であり、日本の陶磁器生産量の約半分を占めているが、古代から重要な場所でもあり、近くに天照大神の胞衣<えな>(へその緒のこと)を納めたとされる聖地がある。現在、この地には、核融合研究所と、高レベル放射性廃棄物を地中深くに閉じ込めて最終処分することに備えた超深地層研究所がある。

 海外に目を向けると、アメリカ先住民のホピ族やナバホ族の聖地にはウラン鉱があり、オーストラリアのカカドゥにあるウラン鉱脈もアボリジニの聖地だ。

 それらの聖地を守り続けてきた人達は、その場所が荒らされたら壊滅的な恐ろしい力が、世界に解き放たれると言い伝えてきた。現実的な問題として、その地のウランが原爆に使われて多くの人々を殺し、さらにウランの採掘により、周辺地域も、高濃度の放射能汚染にさらされている。

 いずれにしろ、聖地は、鉱脈、水脈、地磁気、自然放射線などと関係のあるところに多いことは確かで、自然の威力を受けやすいところだ。

 すなわち聖地が人間を惹きつけるのは、ただの迷信ではない。観念的には理解できなくても、人間にも備わっている生物としての身体感覚が、その場所から何かしらの信号を受け取るのだろう。それをどう受けとめるかは、人間の資質次第だ。

 

 自然の力をみくびってはいけない。2011年3月に東北地方を襲った巨大津波は、自然災害だけで終わらず、原子力発電所の事故による大量の放射性物質の放出と拡散という未だ収束の見通しの立たない大惨事となり、人間の傲りの行き着く先を私たちに見せつけることとなった。

 自然は多くの恵みを人に与える。時には人を試みるかのような仕打ちもあるが、時がくれば、また恵みとなる。それが自然の循環だった。

 しかし、人間の合理精神は、自然本来の摂理よりも人間の都合を優先する。そして、自然は、人間に管理されて最大限に利用されるものとみなされる。結果的に、人間は、自然の摂理をねじ曲げ、その恵みの循環を壊し、それと知らずに自分自身の不幸を増大させていく。

現代アーティストの多くは、そうした人間社会の悲喜劇を創作の種にするだけか、人間社会の都合に寄り添って、刹那的な慰みものを提供している。

 鈴鹿芳康は、そういう人間社会の風向きとはあまり関係のない時空の中にいる。

 彼は、アーティストである前に旅人である。旅人というのは、実際にその環境を訪れて、土地と空気と水などの物質や様々な価値観をもった人々と身体感覚を通して交じり合い、その感覚をリアルなものと記憶しているから、その感覚を抜きに、物事を判断することができない。

 旅する人間は、合理的精神が重要視されている人間社会では気にも留められない木々のざわめき、雲の形、月の満ち欠け、風の向き、気圧の変化、地中深くで大地が押し合う気配、気流や磁場などに対して、昆虫や野生動物たちのように神経が敏感になる。

 そのように旅を通じて身体感覚を鋭敏にしている鈴鹿氏は、視覚や聴覚だけに頼らず、物質の微妙な物理反応や化学反応をも感じ取って、ピンホールカメラをセッティングして撮影を行う。そして、彼が1988年から撮影を続けている”聖地”というのは、世間によく知られた名所と限らず、身体感覚を刺激する力が、他に比べて強くなっている場所なのだ。

 

 旅人である鈴鹿氏の表現における作法は、合理精神からできるだけ離れ、自然の側に立った時間の中で自然と向き合うこと。持ち運びに不便な8×10インチの大型サイズの、レンズをつけないピンホールカメラを抱えて辺境の地を旅し、太陽の上る方角を正確につきとめ、三脚をセットする位置を決め、直径0.3mmという小さな孔を通って差し込んでくる光が像を結ぶのを長時間露光で待ち続ける。

 その間、自然の息づかいを感じながら、のんびりと待っているだけ。写っているかどうかは現像に出した後でないとわからない。

 もともと写真撮影というのは、自分が向き合っている世界を区切り、その構図の中で何かを表そうとする行為だから、人間を中心に限定された世界しか写らないという特性がある。たとえば空や森にしても、その全体から感じられるものと、カメラでその一角をとらえたものでは、その感動はまったく違うものになる。自然の拡がりに対して弱いところがあり、だから自然本来の姿をなかなかとらえられない。 

 また、近年のカメラは、コンパクトで携帯性に優れ、1/8000杪などという目にも止まらぬシャッター速度を実現し、超高感度のデジタルセンサーで暗闇でも写るという人間の都合に大変役に立つ機械であり、その場で撮った画像をチェックして何度でもやりなおしが効く機能なども、当然ながら合理精神によるものだ。

 その高性能機械で、自分のニーズにそって風景を乱暴に切り取り、その切り取り方が上手だとか下手だとか、目の付け所が良いとか悪いと競い合っている。 

 結果的に、一番大事な、風景の向こうとこちらの入り交じるところ、魂が、行き来する彼岸と現実の境が、切り捨てられる。

 鈴鹿氏が現そうとしているのは、まさにその境の領域である。

 彼は、ピンホールカメラの小さな孔に、自然界を包み込む豊かな時間が一点に凝縮して流れ込んでくる気配に神経を集中している。

 写真を通して世界を切り取るのではなく、世界に呼応する魂を何らかの意味あるものとして外に定着させるための集中作業。そうして結ばれた映像は、優れた山水画と同じだ。山水画は、写実的な自然描写ではない。自然の奥行き、はるか下を流れる時間、人間の尺度を超えた大きな時空が、そこにある。だからこそ私たちの魂の深いところに働きかけてくる。

 

 鈴鹿氏の創造活動は、偶然と直観によるところが大きいが、むろんそれだけではない。一つのことに打ち込み経験を積み重ねていくうちに自然の摂理を肌で感じ、その摂理に近づくために、彼は、暦や天文など人類が古代から蓄積してきた智恵を身につけてきた。

 太陽や星の位置、月の満ち欠けなどが、潮の干満をはじめ、地表の現実と大きな関わりを持ち、自分の行動の指針となるからだ。

 それ以外にも、たとえば、彼の風景作品のなかに、時折、虹のフレアが発生しているが、針穴の素材が銅であるかアルミであるかなどによって特徴が異なる。

 感光材に像が描かれる現象も含めて、化学反応である。長時間露光の産物であるから、その時の太陽光線の状態だけでなく、湿度や温度、もしかしたら聖地に特有の微量な自然放射線の影響も受けて、作品はできる。だから、彼が、カメラを設置する場所と時を選ぶ際にも、視覚だけでなく、自分の全知識と全感覚を総動員することになる。風景に向かい合う瞬間は、どこまでも謙虚に、作為を排除して、天からの恵みに任せることになるが、その準備には、それまでの人生の全てが関わっているのだ。

 そういう意味で、鈴鹿氏の作品は、一期一会の結晶である。一期一会というのは、二度と繰り返されることのない一回かぎりの機会のために心を尽くすことだが、その時になって慌てて取り繕ってもボロがでる。自然な流れのなかで互いに相応し、調和が生まれることが重要視されるが、タイミングの読みがとても大事で、それは、日頃の心がけがあってこそできることなのだ。

 しかし、そういう準備がしっかりとなされていても、結果はあまり大した問題ではないという無欲さがないと、わざわざ巨大なカメラを背負って辺境の地を旅し、場所を決めてセッティングし、露光している長い時間を待ち続けて、きちんと写っているかどうか確信が持てないという活動を続けていられない。

 のんびりと待っていられること。それは風景と対立していないからできること。

 鈴鹿氏は、我欲を捨て、敬意をもって自然と心通わせ、ひたすら待つことで、その場に包摂されている。

  そのように待つ姿勢が、「鈴鹿」という主語を消していく。鈴鹿氏が意図的に切り取った写真ではなく、風景の中に潜在的にある何ものかが、自分の方から語り出すものとなる。

 主体と客体、こちらとあちら、撮影者と被写体という対立が無化された、ありのままを受けとめるという全肯定の大きな世界がそこにある。

 待つことの深さは、信頼と肯定の深さにつながっており、それは、人智を超えたものへの信仰であり、彼の作品は、その信仰がなければ成立しない。その信仰が、全ての対立的になりがちなもののあいだをつなぐ媒介となる。

 

 近年、管理社会のルールに縛られてストレスをため込んでいる人達のあいだで、”パワースポット”と呼ばれる場所を訪れることが一種のブームになっている。

 安易すぎるとの批判もあるが、合理性に基づく常識とは異なる何か別の価値観を求めている人は、現代社会にも大勢いるのだろう。

 ただし、実際に聖地を訪れても、必ずしも何かを感じられるとは限らない。その時の条件によって異なってくるし、「運気を上げたい、恋を成就したい」など他愛のない願いや我欲を持った人達が大勢来て、神聖な場所なのにマナーの悪い人も増えており、意識が乱されるからだ。

 

 芸術家の仕事というのは、実に素晴らしいもので、人間が世知辛い社会で安易に損なっている物事の神聖さを、作品の力で取り戻すことができる。

 限りある命を尊び、自然の摂理と調和した生き方を意識するために、芸術家の作品を通して、人間の魂は、神聖なところに還っていくことができる。

 人間に発想の転換をもたらし、救う力は、こうした力をおいて他にないだろう。

 所属する国や宗教や諸々の団体、また時代背景や社会状況に関係なく、あらゆる人々が、鈴鹿氏の作品を前にした時、自分の内に在る風景だと感じ、懐かしさや安らぎを覚えることもあれば、時には哀しみや有り難みとともに、自省や憧憬の念が起きることもあるのではないか。そういう力こそが、芸術の普遍性なのだ。

 どこまでも謙虚に自然の摂理に従い、天の恵みを授かる作法を身につけた芸術家だけが、一つの作品を通して、世界全体をつなぐことができる。その真理は、古今東西変わらない。

天の恵みを授かる作法

文/佐伯剛

ー鈴鹿芳康の作品世界ー

写真集『WIND MANDALA』より

​風の旅人 編集長 佐伯剛

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