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室礼ーSHITSURAIが生まれた背景
政治も経済も文化も学問も、なんとなく行き詰まり感が漂う今日この頃。
ふと冷静に考えてみると、これまでの政治も経済も文化も学問も、けっきょく同じ価値観の土俵の上で悪戦苦闘しているだけではないのかと思ったりします。
わかりやすい成果とか結果を追求すること。それが、権威的な賞であったり、GDPなどの数字であったり、「日本復興の三本の矢」などのワンフレーズポリティックスであったり。そして、多くの人に知られているかどうか、経歴や実績はどうか、集客数や販売数や支持率がどうかという権威と形式と数字に囚われた状態に陥る。
その結果、過剰な自己主張と自己演出と自己宣伝と自己防衛が拡大再生産されるばかり。本来は、精神的な営みであり、そうした行き詰まりから脱出する道標となるはずの文化活動も、同じ価値観の渦に巻き込まれる傾向にある。お金や名声と自己保身のために。
しかし、権威も名声も形式も、悪貨が良貨を駆逐する状況が隅々まで広がり、信頼に値するものがなくなってきた。それが現代の行き詰まり感にもつながっています。
そんな時、「日本の伝統」とか「日本の美」とか「自然との共生」といった権威主義や形式主義に結びつきやすい大上段からの旗を掲げるのではなく、今、私たちが生きて暮らしている現場からの洞察力と自由な発想で、限られた条件から最適を追求する結果として、新しい視点が生まれる可能性がある。視点が変わると意識が変わる。意識が変わると世界が変わる。そこに情熱とエネルギーを傾けてみよう。室礼ーSHITURAIの精神は、そこから始まっています。
自我をもってしまった近代的人間が、安易に伝統主義に走ったり、強引に自然に還ろうとすると、他とのバランスを無視した自分本位なものにしかなりません。
中世の時代に創造された侘び寂びとか幽玄とか物の哀れとか粋といった日本特有の、そして現在、近代主義に限界を感じる世界中の人々が深い関心を示す精神的境地は、権威や形式が崩壊しつつあった時代の閉塞感を、むしろ逆手にとるようにして練られて立ち上がった美と思考のスタイルとも言えます。
そして、そこから生まれた世界観や人生観は、絶対神を持たない日本人にとって、困難な人生を生きていくうえでの知恵であり、拠り所となる宗教心に近いものとなっています。
華美を嫌い簡素を極めながらも深遠な日本庭園は、人工的努力による人工の賜物です。人間はそれだけの配慮と洞察を経ることで初めて、自然の本質へと近づいていくことができる。数百年も前に、そうした努力を真摯に誠実に重ねていた先人達が日本に存在し、既成の価値基準が崩壊しつつある中、同朋衆という信頼と切磋琢磨と共創の人間関係の中で、新しい美と思考のスタイルを磨き、洗練させていきました。
そうした先人の葛藤と試みに思いを馳せながらも伝統という形式に囚われない。また、資金を得た中央組織が、所属する部分に指示命令をして管理していく中央集権的な構造を持たない。
主体性とバランス感覚と奉仕精神を持った個人による具体的な物作りと場作りの実践をもとに、対話を重ねることでさらなる洗練を目指し、今という時代の現実と理想を接合していくチャレンジを続けていきたい。そういう思いが、室礼ーSHITSURAIを生み、育てていく力です。
室礼~Offerings~
会場:The Terminal KYOTO
会場:The Terminal KYOTO
会場:The Terminal KYOTO
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