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日本の東西を結ぶ道。
畿内 (大和) と東北地方を結ぶ大動脈、東山道は、古代から多くの人が行き交っていた。その真ん中、長野の伊那谷は、日本有数の馬の産地だった。豊富な天竜川水系の水が得やすく,牧草に恵まれた気候で、山に囲まれた谷は馬が逃げにくいという,飼育上の有利な環境があった。紀元5世紀頃からの古墳では埋葬馬が数多く出土しており、当時、馬は軍事的にも経済的にも重要な手段であったことは間違いなく、それゆえ、伊那谷は、大和朝廷と深い関係を持ち続けた。
また、飛騨には、縄文中期の遺跡があり、そこから発掘された土器は、八ヶ岳の縄文遺跡の影響を受けており、また男根の形をした巨大な石棒は、北陸地方の縄文文化の影響を受けている。
飛騨の地が、古代から日本海や長野地方とつながっていたことを裏付けている。
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